こんにちは!
昨日はすごい雨でしたね!
そんな雨の気配どころか、今日はまた良い天気で
朝は秋の涼しさを感じるすがすがしい風が吹いていました(^^♪
今日は神社とお寺についてご紹介したいと思います。
もう知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
お寺と神社はもともとは同じ場所あったってご存知ですか?
日本独侑の神社と神様は大昔から存在するに対し、
お寺の神様であるお釈迦様は外国から来られた神様として扱われていました。
それが平安時代になると、
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広がることに。
これは、
仏様は人々を救うために様々な神様の姿を借りて現れているのだという考え方です。
外国の神様である仏様は親しみにくいため、
より日本の人々に近い姿で現れ、
仏様こそが真の姿(=本地)であり、
神様は仏様の仮の姿(=垂迹)である考えられました。
これによって、
神様と仏様は同一視され、両者を同じところにまつり、
信仰するようになりました。
これが
「神仏習合」。
江戸時代までに様々な考え方に派生した神仏習合は、
明治時代になると廃止されます。
明治政府は効果的に国民を統治するために、
日本の神道を仏教と切り離して役立てようと考えました。
この法律により神社とお寺の違いを明確にする
「神仏分離」が広まります。
これは権現などの仏教の影響を受けた言葉の廃止、
神社からの仏像や仏塔の除去、
僧侶がお寺と神社を兼ねて業務を行うことの禁止などを命じられるように。。
この分離政策に乗じた人々によって、
仏像・仏画・絵巻物・経典が破棄され、
多くのお寺が廃寺となりました。
こういった思想や運動は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と呼ばれ、
全国に展開しました。
悲しいことに、数々の貴重な古文書・文化財が失われたといわれています。
本来、外国の宗教として日本に伝わった仏教。
江戸時代までは神社とお寺が同一視されていたと考えると、
お寺と神社の区別がつかないのもおわかりですよね。